その他
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第九十八回坐禅会(参加者:11名)
当坐禅会は、初心者の方からベテランの方までどなたでもご参加いただけます。
①当日の流れといたしましては、お楽な服装(防寒着)にて「朝5:30」頃までにご来山いただき、本堂に入り各位のペースで坐禅の姿勢を整えます。
②5:30~6:00まで静かに坐禅を組み、その後皆さまの御多幸とご先祖さまへの報恩供養として「朝課(朝のおつとめ)」を行います。
③読経後、お時間のある方は「茶話会(さわかい)」としてお茶とお菓子を囲んで、近況報告などをお話しいたします。
本日は、坐禅と朝課の間に悲しいお知らせをいたしました。
「長年、この月例坐禅会に参禅くださいました古参のAさんが先日急逝されました。
私も通夜会場へ駆け付けましたが、今日は坐禅会の皆さんと共に一巻のお経を唱え、惜別のご焼香を捧げたいと思います。」
人は、出会ったからには・・・いつかはお別れをしなければならない。
これは、世の習いでありお釈迦さまも‟悲しい別れの苦しみは痛いほど分かりますよ”という教えを遺されています。
ですが、頭で分かっていても
いざ、身近な方の別離の場面に直面すると・・・
『何を考えてよいかわからない』『深い悲しみ』といった様々な感情が去来するのも人間の自然な摂理です。
読経中の焼香では、「皆さんそれぞれの想いを胸にゆっくりで結構ですので、ご焼香賜りますよう宜しくお願い申し上げます。」と言葉を添えさせていただきました。
私は、この数年間「異種業種・世代間交流」あるいは「お寺と地域」といった人と人をつなげる活動に取り組んで参りました。
おかげさまで、様々な企画やイベントを開催し、その中で多くの人と出逢いご縁を育んできました。。
しかしながら、ふとした瞬間・・・『いつか、お世話になった方々ともお別れをする日が来るんだよなぁ』と考えてしまうことがあります。
人との出会いを重ねることは、その分いづれ訪れる別れも同時に生み出している・・・果たして自らの行いは正しいのだろうか、と自問自答に陥ることもしばしば
あれこれ考えている内に、ご年配の方は相対的に「多くの別れを経験しているのではないか」ということにハッと気づきました。
ネット上の心無いコメントには、「老害」などといった酷い言葉も散見されますが、上記の観点から見ても年上の方には敬意を表さなければなりません。
なぜなら、今の自分よりもきっと多くの別れや悲しみを経験し、長年人生の道を歩まれておられるのですから。
横断歩道をゆっくりと渡るおばあちゃんも、人知れぬ悲しみを抱いていたり・・・
一見強面ぶっきらぼうなおじいさんも、慟哭に伏した夜があったかもしれません。。
こうした思いから、
「僕は、目上の方を大尊敬します。」とお話したところ・・・
ある80代の男性参加者から、こんな返句をいただきました。
『長生きも 良い程のある 冬の蠅』
これは、地元の名士である柴田昌年先生の残した一句で、「邪魔にならないように、良い年の重ね方をしましょう。」という大意だそうです。
さすが、人生の大先輩は会話の返し方一つにも叡智が溢れています。
昌年先生の「昌」の字を僧侶としての道号に頂いた私は、(この句の解釈にも時間がかかる程)あまりの不出来に申し訳なく…ただただ己の浅学を恥じ入るばかりですが、
これから自問自答しながらも先人古徳の教えを拠り処とし、一層弁道精進して参る所存です。
春は、出会いと別れの季節と申します。
出会いが先か、別れが先かは人それぞれでありましょうが、一つだけ言えることは・・・
「終わりがあるから、今が愛おしい」ということであります。
あと何回この桜が見れるか…
名曲の歌詞にもあるように、こうした言葉に一抹の淋しさを感じることもありますが、その分見えるものの美しさも変わってくると思います
▼ https://youtu.be/q5_AkWhj6tU
(『人生の扉』/ 竹内まりや)
誰にとっても、今日という日が一番若い日ということを胸に日々を大切に過ごしましょう。
#愛別離苦
#子ども叱るな来た道じゃ
#年寄り笑うな行く道じゃ
【次回の「坐禅会」は、4月1日(木)あさ5時半~、予約不要・参加無料です。】