その他
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第九十九回坐禅会(参加者:6名)
4月に入り、新年度が始まりました。新しい環境に飛び込む方も、今までと同じ生活が続く方も、心機一転!気持ちを切り替えて良いスタートが切れるようお祈りいたします
一方、禅の世界には「山中暦日無し(さんちゅうれきじつなし)」という言葉があります。
これは、唐代の太上隠者(たいじょういんじゃ)が、静かな山の中に庵を結び何年も経ったとき、『今年が何年だか分からんが、また春が来たなぁ』と、物思いに耽る情感を表しています。
かつて、修行時代にある老師から「堂中の人歴日を知らず」という言葉を教えていただきました。
前述の禅語に似ていますが、堂中(どうちゅう)つまり僧堂で修行中の人間には、歴は関係ない。日が東より出るがごとく、日々為すべきことをなせ。という大意であります。
お正月や特別な日だからといって無闇矢鱈に浮かれたり騒いだりするのではなく、日々の務めに励みなさいという修行者への戒めが込められています。
ですから、新年度がスタートしたからと言って何か大きく変わる訳でもなく、目の前の現実としっかり向き合っていくことが肝要であるかと存じます。
…という大前提のもと
社会の中で生きていくということは、綺麗事ばかりではありません。今までの生活圏では当たり前だったことも、広い世界では非常識になったり通用しないこともありましょう。
三遊亭円朝の創作落語に、「文七元結(ぶんしちもっとい)」という話があります。
▼ 以下《》内はあらすじ。下げ(オチ)を知りたくない方は、飛ばしてください。
《腕はいいが、博打好きの左官の長兵衛。商売道具まで質に入れてしまった家は借金だらけで、夫婦喧嘩が絶えない。見かねた娘のお久が吉原の佐野槌に自分の身を売って急場をしのぎたいと駆け込む。健気な娘に改心した長兵衛は、女将さんに50両(4〜500万円)もの大金を借りて、必ず期限までに返済すると約束する。(★)
ところがその帰り道、吾妻橋で文七という身投げ男に出くわす。事情を聞いた長兵衛はしかたなく…自分の娘を売った大切な金を渡してしまう。
店に戻った文七が、涙ながらに主人にことの次第を伝えたところ、、「見ず知らずの若者の命を助ける為に、大金を投げ出すことはなかなか出来ることではない。」とその心意気に惚れ、後日長兵衛の元へと訪ねる。
これが縁で娘は身請けされ、自由の身となったお久は文七と夫婦になり、文七元結を売り出す。》という人情噺(にんじょうばなし)です。
(★)
この噺の途中、父と娘の別れの場面で長兵衛がお久にこういいます。
「…勘弁してくれ。俺はこれから博打はしねぇ。一生懸命仕事に精を出すから、、辛いことがあっても辛抱しろよ。な、お前は人中に出たことはねぇ。他人てものをよく知らない。先輩方には口の悪いのもいるだろう、人様には何でもへぇへぇと頭を下げるようにして、一つぐらい殴られても『お手は痛くありませんか』ぐらいのことを言っておけ。な、一日でも早くお前を迎えに来れるよう金を稼ぐから、女将さんの言うことをよく聞いて…辛抱してくれ。」と。
今とは全く異なる価値観ではありますが、どうしようもない父親がそれでも娘に対する愛情を不器用に表現している一節だと思います。
子どもたちには、この世界は美しく素晴らしいものであるということを伝えるのが親であり、大人の役目であると思い自分自身もさまざまな活動をしております。
ただ、もう一方で危険なものや非常時での生き方を教えるのも大事なことです。
暦や節目は何も時を刻むだけではなく、気持ちを切り替えることができるように人類が発明したものだと思います。、
自らの失敗をふまえ後進の方により良き道を築くためにも、多角度から物事を見つめる目と、違う価値観も聞くことのできる耳を養って参りたく思います。
どうぞ、新環境にてお身体に障りませんようくれぐれもご留意ください
『文七元結』(6代目 三遊亭圓生)
▼ https://youtu.be/ls_Ns44L1H8
【次回の「坐禅会」は、いよいよ100回目/4月15日(土)あさ5時半~、予約不要・参加無料です。】