一乗寺の歴史
一乗寺の歴史
延文4 | 1359 | 11月29日、庵原左衛門歿、良堵禅門。 |
永正17 | 1520 | 一乗寺開山、朝比奈俊元(後の哉翁)生。 |
享禄元 | 1528 | 一乗寺開基、朝比奈藤三郎(後の信置公)生。 |
天文17 | 1548 | 7月1日、信置公、小豆坂合戦で、今川義元より感状を受ける。 |
永禄2 | 1559 |
2月15日、哉翁元長寺創建に着手、8月10日 完成。 8月28日、哉翁に天龍円盤の禅師号を戴く。 この年、元長、清水寺に観音堂を建てる。 |
永禄4 | 1561 | 9月18日、哉翁、天竜市二俣玖延寺(二世)より、林叟院へ入院。(住山7年) |
永禄6 | 1563 | 12月16日、35歳の信置公、小山氏を討つ。 |
永禄12 | 1569 | 哉翁は大屋受賢に林叟院を譲る。信玄信置公の功を賞し、1月10日庵原の地を宛行哉翁を請じて一乗寺を改宗し創建する。 |
元亀3 | 1572 | 3月12日、信置公、石切左衛門五郎に庵原西方村に於き、五貫文の地を給恩として与う。 |
天正元 | 1573 | 哉翁、焼津の小川に永豊寺を開創。 |
天正10 | 1582 | 4月8日、信置公、庵原の館で自刃54歳。 |
天正11 | 1583 | 正月20日、哉翁は林叟院へ 晋山。 六世継承。 |
天正12 | 1584 | 2月9日、哉翁、林叟院を吉州に任せ退休。 |
天正15 | 1587 | 哉翁、金谷に洞善院を開創。 |
天正17 | 1589 | 12月26日、哉翁宗咄 示寂、世寿69歳。 |
文禄3 | 1594 | 6月10日、一乗寺二世、寄堂全林 示寂。 |
慶長7 | 1602 | 12月9日、幕府より御朱印14石を下賜。 |
元和6 | 1615 | 心峰道鉄、霊山寺を開き、師の雪応を勧請す。 |
寛永元 | 1624 | 雪応保天和尚、草薙の堂宇へ隠居、後の鷲峰山冷泉寺(霊山寺)。 |
寛永10 | 1633 |
門前に松茸地蔵尊建立。 11月15日、三世雪応保天 示寂。 |
寛永12 | 1635 | 1月、峰山重阡和尚 晋山、同年甲州の地に大神山東福院を開く(開基幡禅君刹)。 |
慶安2 | 1649 | 峰巌悟三和尚 晋山。 |
承応2 | 1653 | 2月11日、峰山、草薙に良福寺を開く。 |
明歴2 | 1656 | 11月2日、四世峰山重阡 示寂。 |
寛文2 | 1662 | 秋彼岸、梵鐘と鐘楼ができる。 |
寛文5 | 1665 | 7月11日、一乗寺領について幕府より文書。 |
延宝3 | 1675 | 11月、一乗寺の長刀を藤原是一新作す。 |
延宝6 | 1678 | 4月8日、六世峰巌悟三 示寂。 |
天和3 | 1683 | 10月17日、五世州外伝豫 示寂。 |
元禄16 | 1703 | 慧岳洞玄和尚 晋山。 |
宝永6 | 1709 | 8月8日、七世、碩憺鑑全 示寂。 |
正徳4 | 1714 | 3月、深津正国、信置公の墓を再修。 |
享保14 | 1729 | 3月28日、九世岐山鳳端 示寂、この年、威山独雄和尚生まれる。 |
享保16 | 1731 | 慧岳隠居(住席29年)。 |
享保18 | 1733 | 洞岳継宗和尚 晋山。 |
元文5 | 1740 | 4月24日、洞岳代、一の宮、二の宮の社殿を再建。 |
寛延2 | 1749 | 11月3日、洞岳代、本堂再建す。 |
宝暦2 | 1752 | 6月29日、八世慧岳洞玄 示寂。 |
宝暦13 | 1763 | 9月2日、門前に六地蔵尊が建てられる。 |
明和3 | 1766 | 2月9日、十世(中興)洞岳継宗 示寂、73歳(住歴34年)威山和尚 晋山。 |
明和5 | 1768 | 6月、門前に三界万霊塔建立。 |
安永9 | 1780 | 4月、朝比奈勘右衛門良近が来寺信置公の墓所へ供養塔を寄進。 |
天明6 | 1786 | 5月5日、十一世威山独雄 示寂、世寿58歳、住歴15年。10日、泰岳麟瑞和尚 晋山、住歴15年。 |
寛政2 | 1790 | 5月、禅堂建立(棟札記帳元年12月)。 |
寛政9 | 1797 | 春彼岸、改鋳した梵鐘に泰岳が附言を書く。 |
寛政12 | 1800 |
泰岳退院して東堂職につく。 2月、祖山大印和尚 晋山(住歴6年)。 9月3日、83歳の木喰行道来寺す。 |
享和元 | 1801 | 泰岳、小田村に長昌寺に閑居。 |
文化元 | 1804 | 10月、泰岳奥州一ノ関、願成寺へ進出。12月3日、十六世節山天巌 示寂。 |
文化2 | 1805 | 8月、祖山退院、同月奥州より泰岳帰国し、9月1日再度 晋山(十四世、住席不詳)。 |
文化4 | 1807 | 8月20日、十三世祖山大印 示寂。 |
文化7 | 1810 |
7月1日、十五世、大磯哲侃 示寂。 慧鑑大和尚尾張国に生る。 4月一乗寺の観音講中、興津の宗徳院へ石像を寄進。 |
文化10 | 1813 | 3月、岡部の万松院より輪蔵と一切経とを買入して安置。 |
文化12 | 1815 | 實参義秀和生る。 |
文政2 | 1819 | 嫩山長桂和尚、越後国に生る。 |
天保元 | 1830 | 寛田秀苗和尚、藤枝に生る。 |
天保3 | 1832 | 首岩揺鱗和尚、庵原に生る。 |
天保5 | 1834 | 8月9日、梅岩和尚、三河の宝飯郡に生る。 |
天保7 | 1836 | 22歳の實参義秀 晋山(住席9年)。 |
天保13 | 1842 | 10月、善光寺順拝碑建つ。 |
弘化元 | 1844 | 1月22日、實参楞厳院へ入って二十二世となる(住席2年)。 |
弘化2 | 1845 |
正月9日、十七世實参義秀 示寂。 世寿31歳。 |
嘉永元 | 1848 | 8月、「俳諧裾野集」発刊、一乗寺の句多し。 |
文久元 | 1861 | 6月、村内新田の庚申堂の棟札を寛田が書く。 |
慶応3 | 1867 | 12月15日、東際覚城、豊田村曲金に生る。 |
明治元 | 1868 | 7月朱印本書十二通を太政官へ提出。 |
明治2 | 1869 | 7月21日、十九世嫩山長桂 示寂、世寿60歳。 |
明治4 | 1871 | 2月11日、揺鱗和尚は郡方御役所へ「朱印地取調書上帳」を提出。 |
明治5 | 1872 |
12月8日、寺族。横山そでの生る。 10月、一乗寺の所在地は庵原郡第三大区第五小区となる。 |
明治6 | 1873 | 7月17日「社寺上地取り調べ上帳」を県へ提出。 |
明治8 | 1875 | 5月、尚友塾の分校を、寺内に庵原舎として独立設立される。 |
明治10 | 1877 | 11月23日、大仙嶺雲和尚生る。 |
明治11 | 1878 |
1月、境内自費開墾の田畑反別、下げ渡される。 7月21日、十九世十九世嫩山長桂 示寂、世寿60歳。 |
明治12 | 1879 | 梅岩僲山、「一乗寺明細帳」を書き、提出。 |
明治13 | 1880 | 3月24日、丹羽仏庵和尚修善寺に生る。 |
明治14 | 1881 | 庵原舎、現小学校の地へ移転、庵原小となる。 |
明治16 | 1883 | 7月12日、二十世寛田秀苗 示寂、世寿54歳。 |
明治19 | 1886 | 3月、僲山「寺籍財産明細帳」を書き、曹洞宗務局へ提出。 |
明治20 | 1887 |
3月23日、十八世慧岳大能 示寂、世寿78歳。 この頃、江湖会と授戒会が勤行される。 |
明治22 | 1889 | 一乗寺は十カ村合併し、庵原村となる。 |
明治23 | 1890 | 1月8日、二十二世梅岩僲山 示寂、世寿56歳。 |
明治27 | 1894 | 5月10日、宗徳院より白山権限の厨子を拝納。 |
明治30 | 1897 | 11月、覚城和尚「駿遠豆」を買入予約。 |
明治31 | 1898 | 7月15日、横山覚城結婚。 |
明治32 | 1899 |
1月2日、加藤孫平(雪膓)一乗寺へ萬居。 10月17日、覚城津波の難民救援義損金を出す。 4月、覚城「静嵐」誌に投句。 5月、「芙蓉」に一乗寺の景と句が載る。 |
明治35 | 1902 | 2月20日、「寺有地明細表」を作製。 |
明治37 | 1904 | 2月22日、寺を会場として、政露戦勝祈祷会を開催す。 |
明治38 | 1905 | 2月23日、瑞岳廉芳和尚、修善寺に生る。 |
明治39 | 1906 | 8月13日、覚法敬三和尚、庵原に生る。 |
明治40 | 1907 | 9月29日、二十一世首岩揺鱗 示寂、世寿76歳。 |
明治43 | 1910 | 「庵原村仏教澄道会」発足、横山覚城師は副会長に推される。 |
大正6 | 1917 | 丹羽廉芳和尚、得度(12歳)。 |
大正7 | 1918 |
2月21日、江湖会巌修。 3月10日、 修禅寺の丘宗潭老師の「仏教の真髄」を一乗寺で記念出版。 7月8日、横山一渓、永源寺で修行中 示寂、世寿23歳。 |
大正11 | 1922 |
11月29日、鉄山玄道和尚、伊豆に生る。 8月15日、鎮守堂を再建、本尊奉安。 |
大正12 | 1923 | 7月5日、二十三世東際覚城 示寂、世寿56歳。 |
大正14 | 1925 | 敬三和尚、忠魂碑の序幕式に参列、供養。 |
大正15 | 1926 |
7月13日、法類久翁寺へ震災見舞金を出す。 9月10日、寺族横山そで歿、55歳。 |
昭和7 | 1932 | 6月22日、二十四世覚法敬三 示寂、世寿27歳。 |
昭和9 | 1934 | 3月3日、瑞岳廉芳和尚 晋山(29歳)。 |
昭和11 | 1936 | 6月、庫裡落慶、8月18日、鉄山和尚得度。 |
昭和12 | 1937 | 3月、毘沙門堂落慶。 |
昭和13 | 1938 | 8月1日、上海戦忠魂碑建つ。 |
昭和15 | 1940 | 庭園二百坪、池を築造。 |
昭和16 | 1941 |
廉芳和尚、結制上堂を行う。 6月29日県仏教会庵原支部結成大会開く。 |
昭和17 | 1942 | 12月、旧梵鐘が供出献納。 |
昭和18 | 1943 | 寺を会場に保険婦養成講習会を開く。 |
昭和19 | 1944 |
8月、学童疎開を受け入れ(108名)。 11月19日、大仙霊雲 示寂、世寿68歳。 |
昭和20 | 1945 | 11月、水野梅暁、小村捷治来寺、宿泊す。 |
昭和21 | 1946 | 眼蔵会を開催。 |
昭和23 | 1948 |
8月1日、服部嵐雪の木像開眼供養を行う。 10月19日、開山堂、位牌堂落慶。 |
昭和24 | 1949 |
5月、廉芳和尚、龍雲院へ転住。 10月13日、先住退院式と晋山式を挙行。 |
昭和25 | 1950 | 9月、庵原保育園を境内に開設する。 |
昭和26 | 1951 | 5月11日、義裕和尚、長崎県に生る。 |
昭和27 | 1952 | 10月2日、江湖会、この年門柱が建てられる。 |
昭和29 | 1954 | 5月22日、梵鐘鋳造。 |
昭和31 | 1956 | 11月30日、秩父宮妃殿下来寺、牧田寛甫の句碑を建つ。 |
昭和32 | 1957 | 8月、新郷土建設指導者講習会開催。 |
昭和33 | 1958 | 10月15日、鉄山和尚、遠山富美世と結婚。 |
昭和35 | 1960 | 9月19日、長女えみ子生る。 |
昭和36 | 1961 | 4月9日、ひな供養が始まる。 |
昭和38 | 1963 | 10月、二女淑子生る。 |
昭和39 | 1964 | 一乗寺の樟、東京別院の魚板として献納。 |
昭和40 | 1965 | 3月、庵原保育園を清水市へ移管する。 |
昭和41 | 1966 |
2月16日、魚鼓の開眼供養が行われる。 4月1日、輪蔵、市の文化私財に指定される。 |
昭和44 | 1969 | 2月、本堂に擂り粉木が納められる。 |
昭和45 | 1970 | 10月、本堂、座禅堂、庫裡屋根替えをする。 |
昭和47 | 1972 | 7月7日、正峰筆塚建つ。 |
昭和49 | 1974 | 10月10日、柴田篁圃詩碑を建つ。 |
昭和52 | 1977 | ボーイスカウト清水第16団発団式を行う。 |
昭和53 | 1978 | 8月24日、みかんの古木、市の文化財に指定。 |
昭和55 | 1980 |
4月10日、御開山、御開基の400年遠忌が厳修。 一如庵落慶。記念講演を行う。 一乗寺開基御和讃できる。 一乗寺のパンフレットできる |
昭和57 | 1982 |
5月5日、裏山に十二支守本尊ができる。この年、愛語会創立30周年を迎える。 夏、瓢雨の句碑建つ。 14日、義裕和尚、丹羽えみ子と結婚。 |
昭和59 | 1984 | 2月14日、義裕師長男崇元生る。 |
昭和61 | 1986 | 10月、願王地蔵尊建つ。 |
昭和62 | 1987 | 8月8日、願王地蔵尊の供養式典を行う。 |
平成2 | 1990 | 秋、毘沙門堂再建される。 |
平成3 | 1991 |
客殿、東司落慶。 10月、「一乗寺史」刊行。 11月3日、義裕和尚 晋山式挙行。 |