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あれから、8年ー。
本日、14時46分「追悼の鐘」を鳴鐘いたしました。
「今日」という1日は、
昨日亡くなった人が、
“切に生きたい”と願った「明日」…✍️
そう思って、生きていきます。
Our “today” is the “tomorrow” that the people who died yesterday really wanted to live through.
R.I.P. 🙏合掌
🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。
第六十一回坐禅会(参加者:9名)
まだ、辺りも暗い夜明け前…
久しぶりに雨がしとしと降っておりました。
そんな中、道心ある人々が一人また一人と集まり、本日も静かに坐禅を組みました。
年が明け、あっという間に3月になり・・・というような口調をよく耳にします👂
重ねて、
「1年経つのが早い」という感覚は、
大人になればなるほど増すような気がします。
かつて、これを数式で表した人物がいます。
19世紀のフランス人、
“ポール・ジャネ”という哲学者です🇫🇷
彼は、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に解明しました。
これを、「ジャネーの法則」と呼びます✍️
“例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる。”
(▼Wikipedia「ジャネーの法則」より)
つまり、
50歳の1年は50年分の1年
< 5歳の1年は5年分の1年
ということ。
この数式を見て、再び「主観的な記憶」という要素を思い出してみると・・・
単調な毎日、
不毛な会議、
退屈な生活、
というのは、どれも「長く」感じるもの。
そして、これは
「今現在進行している時間の体感速度」ではなく、「過去を振り返った時に感じる時間の長さの印象」ということになります。
「次の一年もあっという間だろう」
とは言わず、
「この一年はあっという間だった」
と言いますよね。
人の生き方は、様々であり正解はありませんが、、
「長生きしたい」という人はいても
「ダラダラ長く生きたい」という表現をする人は少ないはず😅
ですから、
いくつになっても、
新鮮で充実した日々を送るためには、
『いつまでも過去ばかりにとらわれず、
しっかり前を向いて歩むこと』
が大切です。
もちろん、
その歩み方は人それぞれのペースで宜しいかと思います。
10人いれば、10人の「時間の感覚」があります。
しかし、
心の感じ方は千差万別でも、
「時間の流れ」というのは、
老若男女すべて等しく訪れます。
平成最期の1ヶ月。
今までのことを振り返り、
善きものは磨き、
悪しきものを捨てる準備期間にしてはいかがでしょうか(^人^)
これから訪れる時代が、
あなたにとって素晴らしいものになりますように✍️✨
#古いものを捨てなければ新しいものは入らない
※3月15日の「坐禅会」と「一期会(お話しの会)」は、諸事情によりお休みとさせていただきます✍️
【次回の「坐禅会」は、3月15日(金)あさ5時半~、予約不要・参加無料です。】
Googleのwebサイトを開設しました。
皆さまから投稿していただいた「境内の写真」も公開中です🌸
引き続き、ご法愛賜れば幸甚に存じます👏
▼https://buddhist-temple-2808.business.site/
※なお、トップ画の「藤棚」は、毎年4月下旬~5月上旬が見ごろです(*´ω`*)
🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。
第六十回坐禅会(参加者:10名)
一ヶ月ぶりに降った雨があがり、今朝はひんやりとした境内となりました。
寒風身にしみる中、参禅の方がご来山されることは有り難く励みになります✍️
さて、2月といえば「節分」です。
節分は、文字通り「季節の分かれるところ」、つまり「年の移り変わり」のことを表しております。
※毎年2月4日頃に訪れる「立春」は、旧暦で「1年の始まり」とされ特に大切にしていました。
・こうした季節の分かれ目には、「邪気」が入りやすいと考えられており、この邪気を象徴するのが、「鬼(おに)」。(「邪鬼」とも変換できますが)これを払い除くのが、「豆まき」という行事になります。
・もともと、神事(しんじ:神に関するまつりごと、儀式)として行じられていた「邪鬼払い」が、現代では子どもも行うことのできる「豆まき」に変化していったのは、興味深い歴史の変遷でもあります。
・いずれにせよ、
古来より変わらぬ“家族の安寧を願う気持ち”は、後の世にも伝えていきたいものです✍️✨
※2月15日の「坐禅会」と「一期会(お話しの会)」は、諸事情によりお休みとさせていただきます✍️
【次回の「坐禅会」は、3月1日(金)あさ5時半~、予約不要・参加無料です。】
本日は、市内の会社社員さんが「坐禅研修」にご来山され、坐禅と法話をいたしました✍️
初めて体験される方ばかりでしたが、皆さん坐相(坐った時の姿勢)も美しく、『実際坐った時間よりも短く感じた』⏳という方も多くいらっしゃいました🙏
謹んで年頭のご挨拶を申し上げます。
旧年中は格別のご法愛を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて本年は、いよいよ「本堂・山門改修工事」が竣工となります。
工期中、何かとご心配やご不便をおかけしており申し訳ございません。
今後、皆さまにとって“より良きお寺”に生まれ変わるよう、鋭意建設中でございます。何卒ご理解の程、宜しくお願い申し上げます。
【お知らせ】
『暁天坐禅会』
毎月1・15日あさ5:30〜
坐禅を行なっています。
▼https://www.facebook.com/media/set/?set=a.1694868644117056&type=1&l=22bf990213
『一期会』
毎月15日15時~
様々なテーマでおはなしの会を開催しております。
▼
上記は、すべて「参加無料」「予約不要」ですので、お気軽にお越しください(^人^)
これからも、皆さまの「かかりつけのお寺」となれるよう歩んで参りたく存じます。
本年も変わらぬご厚誼の程、宜しくお願い申し上げます。
どなた様にも幸多き年となりますよう心よりお祈り申し上げます。
平成31年 己亥
🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。
第五十八回坐禅会(参加者:15名)
今年も残すところ、あと半月となりました。
12月のことを、「師走(しわす・しはす)と呼びます🗓
これは、一説には「師」つまり、法師(導師)が忙しなく走り回る様子が語源になっているとされております。
古来、年の瀬にはお坊さんが「挨拶回り」をしたり、各家に「読経に回る」風習があったため、民間語源の「師馳す説」が最も有力だと言うことです✍️
確かに、この時期は兎に角バタバタしています🐇💨
「忙しい時ほど、深呼吸。」
と言ったのは、お寺に住んでウン十年の祖母でした。
『急いては事を仕損じる』という言葉の通り、どんなに忙しい時でも心を落ち着かせたいものです。
今朝は、そうした意味でも「この一年を振り返る坐禅」として、しばし端坐しました🙏
前回、初参加のご家族はじめ
以前、街中で法話をした際に聴聞して下さった親子連れの方も初めてお越しくださり、過去最大「15名」の方々にご参加いただきました✨
(思いがけぬ、大人数で座蒲が足りなくなるというハプニングがありましたが、長老方がお譲りくださいまして事なきを得ました💧)
午後は、15時〜「おはなしの会(一期会)」もありますので、そちらも是非お立ち寄りください(^人^)
【次回の「坐禅会」は、新年1月15日(火)あさ5時半~、予約不要・参加無料です。】
【平成30年「成道会」】
今から およそ2500年前―。
(現在のインドとネパールの国境付近に位置する)カピラバストゥという小国に、ある王子がおりました。
シャーキャ族(釈迦族)のその王子は、老病生死をはじめ人生に必ず付き纏う“苦しみ”に苦悶し、ある日城を抜け出し出家します。
幾多の修行の末、ついにお悟りを開かれたのが、明けの明星が輝く12月8日の朝でした。(その時、釈尊35歳)
『悟りを開いた人』のことを梵語(サンスクリット語)で、仏陀(ブッダ)と云います。このことから、釈迦牟尼世尊(シャカムニセソン)は“仏陀”と呼ばれ、日本では、訓読みで『仏さま』と呼ばれるようになりました。
智慧と慈悲の教え「仏教」誕生の瞬間でありました。
毎年この時期に行われる成道会は、お釈迦さまがお悟りを開いたことを忘れぬよう報恩感謝を捧げる法要です。
一、本尊上供
一、梅花流詠讃歌 奉詠
一、法話
一、茶話会
☁️✨☁️
▼『成道会とは?』
http://www.sotozen-net.or.jp/ceremony/annual/jodoe
🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。
第五十七回坐禅会(参加者:10名)
12月に入り、今年も残すところあと一ヶ月となりました。
今朝は、先日の「文化財特別公開」の日に偶然通りかかった親子連れお三方が、土曜お休みということで初参加をしてくださいました(^人^)
こうして、気軽にご参加いただくことが何より嬉しく思います。
「坐禅て、バシッと叩かれちゃうんでしょ❗️」
「足が心配💧」
「毎回行かないとダメですか?」
と、いろいろなご意見をいただきますが
…そんなことはありません😅
優しいお坊さんが、優しく指導いたしますので、
興味のある方は是非一度ご来山ください🙏
【次回の「坐禅会」は、12月15日(土)あさ5時半~、予約不要・参加無料です。】
11月25日(日)は、「文化財特別公開」ということで、一日お寺を開放しました。
午前午後合わせて、80人以上の方にご来山いただき「県の有形文化財 宝冠阿弥陀如来坐像」をご見学されました。
折しも、数百年に一度という大規模な「本堂改修事業」も進行中で、京都の宮大工さんとともに進捗状況の報告会も併修いたしました。
この時期しか見ることのできない本堂内部の“梁”や“構造”に、皆さま関心を寄せてご覧になられておりました。
※当寺では、平時いつでも「文化財」「本堂内部」の見学ができますので、興味のある方はご一報ください<(_ _*)>
11月24日(土)は、「みんなでお墓そうじの日」と題しまして、墓地境内の奉仕清掃を行いました。
ご自身のお墓の他、ご近所のお墓にも気を配ってお掃除いただき、みんなでご先祖さまやお墓のことを考える一日となりました。
(※助っ人が必要な方に、「HELPカード」をご案内したのが功を奏しました^^)
「自分は動けないけど、矢も盾もたまらず様子を見にきました」という80代の女性の方もおられ、気になっていたお墓の蓋を開けてみると・・・中には孟宗竹(モウソウダケ)の根が地中からお墓に侵入していました。。
仰天するお母さんを助けるべく、有志の方々のご助力により一掃することが出来ました!
涙ながらに感謝の言葉をかけて下さるお母さんを前にし、試みとして始めた企画でしたが『今後も続けよう』と決めた次第です✍
🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。
第五十五回坐禅会(参加者:7名)
※11月1日は、所用のため私が不在でした。当初、恒例の坐禅会はお休みにするつまりでしたが、常連の参加者の方から「俺っちでやるよ!(静岡弁)」と言ってくださり、開催いたしました🙏
かえって新鮮なお勤めになったということで、これからは鳴らし物(木魚や鐘など)を皆さんにも触れていただくのも一つかなと思いました(^人^)
★
第五十六回坐禅会(参加者:8名)
11月も半ばを過ぎ、朝晩めっきり寒くなってきました。
と言っても、京都からお手伝いに来てくださっている大工さんに言わせれば、「静岡は、とても暖かい☀️」とのこと。
やはり、
『彼を知り己を知れば、百戦して殆(あや)うからず』(孫子「謀攻篇」)
・・・己を知るには、他を知ることが肝要。
さらに、
『自己をならふというは、自己を忘るるなり』(道元禅師「正法眼蔵・現成公案」)
・・・しかしながら、
外にばかり気を取られては、自分を見失ってしまいがち。
なので、
自らを見つめ直し、自らを振り返る時間がより大切。
それは、自分が良かれと思って選択してきた「自己の価値観(自我)」を一度捨て去ることで、むしろ自分という殻を破り可能性を拡げることが出来るからです(シャレです🐣)
常に自分自身は、いまどこに立っているかを見極め、見失わないように軌道修正していく・・・これが坐禅の時間なのだと思います(という、I think…すら要らない、というのが本来の要点ですが、頭で考え続けると鏡の中の鏡になってしまうので、今日はここまで)✍️
【次回の「坐禅会」は、12月1日(土)あさ5時半~、予約不要・参加無料です。】