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・新年度に入り、新たなお仲間も増えご一緒に坐禅を組みました。
・さて、去る3月24日は、お寺のとなりにある「庵原こども園」の卒園式でした。
よく「お寺の幼稚園ですか?」と聞かれることがありますが、今は静岡市のこども園として運営されています。
元々はお寺の保育所で、一乗寺の二代前・洞慶院の一つ前の住職である丹羽鐵山方丈が、初代の園長でした。
・当時は、境内に保母さんたちの宿舎や木造の教室があり、子どもたちが坐禅堂などで遊んでいたそうです。
※余談ですが当山の坐禅堂には、少し珍しい「輪蔵(りんぞう)」というたくさんのお経の本が入った蔵があります。
この円柱状の経蔵(きょうぞう)は、グルグル回すことができます。これは、チベット仏教の「マニ車」のように回した数だけお経を唱えるのと同じ功徳を得られるという尊い物です。
ちょうど、先日も当時園児だった方が訪ねてこられ「よくこれを回して遊び場にしていたよ」と懐かしそうに語っておられました。
・僕も、かつてこども園の前身の「庵原保育所」に通っておりまして卒園児ということになります。今は、お寺の経営ではありませんが、4年ほど前より私自身「評議員」という形で参画しております。初代園長である祖父のご縁もありますし、何より子どもが好きなので楽しく携わらせていただいております。
・卒園式のあと、特別に年長さんが歌を歌ってくれました。その歌の名前が「にじ」というタイトルで、歌詞がとても素敵だったのでご紹介させていただきます。
♪こども園で過ごした日々は 大切なたからもの
友達とはケンカをした日もあったけれど、ラララ虹が虹が 空にかかって
君の君の 気分もはれて 仲間と出会えて よかった
みんなのことが だいすき きっと あしたは いいてんき
という歌詞を、とても可愛らしい声で元気に歌ってくれました。
・3月16日深夜、東北地方で発生した地震によって被災されたすべての方にお見舞いを申し上げます。
・疫災、戦災、天災という有事に加え、身の回りの様々な悩みが重なると心への負荷が許容を超え健康面に害を及ぼすこともございます。まずは、皆さま自身の身心を第一に考え、日常生活に支障のないようにお過ごしになられることをお勧めいたします。
・僕は、人間の「悲しみを受容できる量」には、人それぞれ限界があると思っています。心の中に、ガラスのコップがあって…感情がある一定の量を越えてしまうと溢れてしまう。つまり、日常生活が送れなくなってしまうということです。
ですから、個々の感情の許容量を把握し、溢れそうになったら一休みしたり、過剰摂取した情報を遮断する必要があろうかと思います。それでも、平和について考えることや、できることはあります。
・仏教では、遺経というお経の中で『世事に参預し好みを貴人に結ばない』という言葉が出てきます。これは、僧侶として時事の政治経済・権力には近づかないようにという教えです。
よって普段はあまり政治問題について言及しないようにしておりますが、昨今の国際情勢は看過できないものがあります。
しかしながら、どちらか一方に肩入れするということは、一方を敵視するということ。これは仏教徒としては、どうなのか・・・という自問自答の日々です。
・あえてすべてを否定的にとらえると、、、
テレビは偏向報道だ。西側諸国の思想あるいは自国に都合のよい話ばかり流している。
一方ネットは、フェイクニュースばかりだ。好きな情報ばかり入手してしまうから、自分の思想を無闇に肯定してしまう。
…こうしたことばかり考えると何もできなくなってしまいます。
・平和を語るには、戦争の状況を正しく理解しなければならないと思っております。
こんな風に生活ができるのも誰かが今守ってくれているおかげであるということに想いを向け、行政機関や国土を守る防人の方はじめ第一次資料に基づく事実を伝えてくださるジャーナリストの方に改めて感謝したいと思います。
非戦を誓う仏教寺院においてどちらかの勢力に肩入れすることは、また新たな火種を生むことに他ならないというご指摘も重々承知しておりますが、ロシアの西の端に接しているのがウクライナならば、東の隣国は日本です。
・私は(私の理解する範囲において/国際法に則り)間違ったことをしている友人には、その間違いを指摘するのが真の友達だと考えます。それを念頭に、双方の国民の方々に一刻も早く平穏な日々が訪れることをお祈りいたします。
そして、私たちのかけがえのない日常を守るためにもできることを模索していきたいと思います
戦争が終わって平和になるんじゃない。
平和な毎日に戦争が侵入してくるんだ。(谷川 俊太郎)
本日も、月例の坐禅会を行いました。
3月に入り、日の出時間も変わってきたように思います。
いま、苦しんでおられるすべての方にも平穏な朝陽が昇ることを祈念いたします。
今朝は、今なお戦火に怯えて暮らす人々と死傷者を悼み、祈りの読経と焼香を皆で捧げました。
緊迫のウクライナ情勢に対し、思うこと・望むことはたくさんありますが…できることは少ないです。
この無力感にやるせなさを感じるばかりですが、それでも一僧侶として、そして一人の人間として意思表示をしたいと思います。
普段、あえて政治的な発言は控えているのですが、、、今回のロシア軍の侵攻については、看過できるものではないと考えております。
2月28日。ロシアとウクライナの代表団が、初の停戦協議を行ったとの報が入りました。双方結果を持ち帰り、近く再協議を実施。継続して協議していくという見解は一致したそうです。
一刻も早い「対話と交渉による平和的解決」を願うばかりです。
同じ時代を生きる者として。
・本日2月15日は、お釈迦さまが亡くなられた日(涅槃に入られた日)です。
お釈迦さまは、およそ2,500年以上前のインドで実在したお坊さんです。
・(もともと釈迦族の王子であった)お釈迦さまは、35歳の時にお悟りを開かれ「仏陀(ブッダ)」となり、80歳で涅槃に入るまでの間、多くの地域で人々に教えを説いてまわられました。
※お釈迦さまが亡くなったことを「涅槃に入る」といい、そのご遺徳を偲び「涅槃会(ねはんえ)」という法要を営みます。
・生老病死はじめ、人生における苦しみや悲しみにどう向き合えばよいか悩み、長い修行の末「おさとり」をひらきました。
その後、弟子たちと共にインド各地を回り、苦しみの中生きる多くの人々を救う旅を続けて、正しく生きるための様々な教えを伝えました。その最後の地となったのは、クシナガラというところでした。
・いよいよ自分の最期が近いことをお察しになられたお釈迦さまは、沙羅の林のもとに体を横たえ、集まった弟子たちに「自灯明・法灯明」という教えを遺します。
「私の亡きあとは自らを大切にし、これまで私が説いた教えを拠り処として、いつも心を正しく保ち生活するように」と、最後の説法をされ涅槃に入りました。
「出会ったからには、いつかお別れをしなければならない。」・・・「命あるものは、いつかは滅する」という大切な教えを自らお示しになったのです。
・涅槃会には、このお釈迦さまの最期の様子を描いた「涅槃図」を掲げます。
涅槃図には、人間の弟子たちだけではなく、多くの動物や昆虫までもが集まってきて、お釈迦さまの死を嘆き悲しむ姿が表現されています。
・今朝は坐禅会の後に、この涅槃図を拝みながら涅槃会のお経とお話しをいたしました。約250年前から当山に伝わる涅槃図には、様々な仏教の教えが描かれています。
涅槃図を読み解くことは、自分自身の死の在り方を考えることでもあり、死を見つめることは「いま生きてることを見つめ直すこと」でもあります。
▼涅槃図には、決まった構図や描かれるものがいくつかあります。
まずは、真ん中に横たわるお釈迦さまの姿。そして、周りを多くの弟子や動物たちが囲み、悲しんでおります。背景には、満月の下、沙羅の木が立ち並び白い花を咲かせております。その内の一本の枝に、赤い巾着袋のようなものが引っかかっています。
大抵、左上の枝に描かれることが多いのですが、これは「万病を治す薬が入った袋」です。
お釈迦さまが、病で床に臥されたのを聞きつけたマヤ夫人(お釈迦さまのお母さん)は、天界より急ぎ駆けつけましたが、間に合わないと思い…空の上からこの薬を投げました。
残念ながら、母の願いもむなしく、お釈迦さまに届く前に木に引っかかってしまいましたが、、この母の愛を讃え今日でも薬を処方することを「投薬」と呼ぶようになったと言われています。
・お母さんという言葉を聞いて、何かホッとする気持ちになる。悪いことができなくなるような気持ちになる方は多いと思います。僕は、そんな風にホッとできるようなお寺のあり方や空間づくりを常々考えております。
・這えば立て、立てば歩めの親心。子ども時代は、出来ることがだんだんと増えていき、周りにも喜びが広がっていきます。
しかし、老いてくると昨日できたことができなくなり塞ぎ込みがちになってしまいます。でも、そんな時は「まだこれは出来る」というできることを数えるべきです。
やり残したことはないかと自分に問いかけ→あれば、それに向かい全力で取り組むことが命を全うするということに繋がるのだと思います。
・曹洞宗や臨済宗の戒名の頭には、「新帰元」という三文字が入ります。これは、新たに元の場所に帰るという意味です。
一生懸命働いた日の夜に、ポッとまあるいお月様が顔を出し、やさしく照らしてくれるように…人生の終わりには、必ず安らぎの瞬間があると信じております。
・そして、最期はみんな「元の場所」に還っていく。
“ひとたびは涅槃の雲に入りぬとも月はまどかによを照らすなり”
・自分自身の最期に、綺麗な月が出るよう精進して行きたいと思います。
【次回の「月例坐禅会」は、3月1日(火)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】
※坐禅会場は「暖房完備」しておりますが、暖かい服装でご来山ください。
1日は、早朝より坐禅の会がありました。
今回、初参加された方は「WEBデザイナー(CGクリエイター)」を生業とされておられる若い男性の方でした。
当ブログをご覧になりご来山くださったとのことで、‟やっててよかったミニコラム”といったところです^^
偶然にも、坐禅後の法話ではそんなコンピュータの世界で活躍する主人公が登場する「マトリックス」の話をいたしました
先日、「マトリックス」の新作映画を観てきました。(公開最終日に、すべり込みセーフで入場できました)
正確な映画のタイトルを「マトリックス・レザレクションズ」と言います。シリーズで言うと、4番目の作品です。
第1作が公開されたのは、1999年で僕はまだ高校生でした。ちょうど多感な時期ということもあり、社会や学校に対する疑問とこの映画の導入部分で主人公が抱く疑問とが重なり・・・まんまとハマってしまいました^^;
それが高じて、その後大学生になって卒論を書く際「マトリックスの世界観」をテーマの一つに取り上げたほどであります。。
よく、‟イナバウアー”のようなのけぞるポーズが流行ったりもしましたが…ここで、マトリックス・シリーズをご覧になったことが無い方のために少し物語の概要をご説明したいと思います。
(もちろん、新作のネタバレにならないように)
▼
・『マトリックス』シリーズでは、高度に進化したマシンが人類を支配するようになった近未来が描かれます。いわゆるロボットの反乱です。
最終戦争で敗れた人類は、特殊な液体の入った「培養カプセル」の中で管に繋がれたまま一生涯を終えることになります。それは、人間の体から発生する電気をコンピュータに供給するためです。
人間の体はカプセルの中から動くことはできませんが、意識は首筋に繋がれたプラグを通じて(人類が最も繁栄していた)20世紀末の世界を再現した仮想空間に接続されています。
この仮想空間の名前を「マトリックス」と呼び、カプセルの中の人間たちは、マトリックスの世界を本物だと信じて生活しており、ほとんどの人間は誰も真実を知らぬまま生涯を終えます。
・ただし、仮想現実のマトリックスから逃れた一部の人類は“ザイオン”と呼ばれる地下都市に潜伏しています。ここは、現実世界に唯一残されている人類の故郷というわけです。
この人類最後の救世主が、キアヌ・リーヴス演じるネオという主人公です。もともと、ネオも仮想空間の住人でしたが、、「真実を知りたい」という気持ちに駆られ、マトリックスの世界つまり培養カプセルから脱出し、マシンとの戦いに挑んでいきます。
・この映画は、『聞きなれない横文字や専門用語ばかりでよく分からない。』という声を耳にします。
「救世主」とか「機械との戦い」「夢と現実との違い」といった中高生にはたまらない単語がいくつも出てくるのですが、「プログラム」や「ソース」といったパソコンを扱う際に使う言葉もたくさん出てきます。
・新作の「レザレクションズ」という副題は、「復活」という言葉の複数形です。全三部作で機械との戦いに終止符が打たれたように見えたラストから果たしてどのような展開になったのか・・・と、ここから先は皆さん自身で映画をご覧いただければと思います。
革新的なアクションシーンをふんだんに取り入れた『マトリックス』シリーズは、多くの要素や物語からの引用で構成されている作品といわれています。ブルース・リーに代表されるカンフー映画、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』、日本のアニメ、古今東西のあらゆる宗教、神話、哲学、思想と。
映画を観た観客は、それぞれの思想に近いものを感じるよう導かれる仕掛けになっているというわけです。
・僕の場合はやはり「禅」の思想を感じました。その理由は、第一作の中盤で主人公が覚醒するきっかけとなった「スプーンはない」という教えです。
これは仏教徒のような衣装を身にまとった少年が、仮想世界の中でスプーンを自由自在に空中に浮かせながらネオに語りかけるシーンで、「(目の前にスプーンがあるように見えるけど)本当は何もない。すべて自分の問題なんだ。」という真実を見るための助言をしてくれます。
・禅の言葉にも「本来(ほんらい)無一物(むいちもつ)」=(物事は全て本来空(くう)であるから、執着すべきものは何一つないということ)や、中国が唐と呼ばれた時代の禅僧「薬山惟儼(やくさんいげん)大和尚」が問答で答えた「不思量底(ふしりょうてい)を思量(しりょう)す、非思量(ひしりょう)」という言葉。
これも、非常に解釈が難しいのですが…坐禅中の心の在り方を説いており、「思量しないところを思量する/思わないところを思え」という、いかにも難解な禅的表現であります。
しかしながら、実は現在に至るまで僕はずっとこの言葉に救われておりまして、あらゆる活動やイベントの原動力にもなってます。
・なぜならこの言葉を初めて教えてくださった大学院生の方が、勉強会の際こんなことをおっしゃったのです。
「例えば、ここに赤いペンがあるだろ。私たちは、これを赤いペンと認識しているけれど、ひょっとしたら別の人が見れば、同じ色に見えていないかもしれない。赤いペンではないかもしれない。」というのです。
意訳すれば、
★(当たり前にみえる)目の前の事象に一度疑問を投げかけることで、そのものに無限の可能性や新たな価値を生み出すことができる。
※そのために、まず目の前の現実や時空を正しく認識しなければならない。心に浮かんだ思いに気づき、受け流すという坐禅の時間を大切に実践行を続けなさい。
という理解をしております。
・上記の内容は、一見難しくて日常生活に関係のない話に聞こえるかもしれませんが、社会生活で何か壁にぶちあってしまったときは、哲学に触れてみたり、それぞれの心の内面と向き合う時間も有効だと思います。
・今日は、ちょっと仏教大学の講義のようになってしまいましたが、何か小さな疑問がきっかけで、心に波紋が広がっていったり「現実って何だろう?」と青臭い疑問を思い出させてくれるのが、マトリックスの魅力なのです
「スプーンはない」=「空(くう)」という教えを理解する際、つい「空虚」というマイナス面を創造しがちですが、例えば…画用紙に絵を描いていく内にだんだんと書く場所が無くなってきたり、本当はこう描きたいけど引き返せないところまで進んでしまった・・・という経験が誰しもあろうかと思います。
そんな時、画用紙を一枚めくり「新しいページに自由に絵を描く」つまり「人生はいつでもやり直すことができる」ということ。
これが、「執着をしない」という禅の精神につながっている
と、当時24歳の若造が書いた卒論では結んでおります。
※こんな私の卒論に興味のある方は、お寺の本棚のどこかにありますのでご自由にご笑覧ください
あれから、十数年が経ち・・・
雨の日やくもりの日もありますが、心の空を拡げる自由な発想だけは失わずに歩んでいきたいと思います
【次回の「月例坐禅会」は、2月15日(火)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】
※坐禅会場は「暖房完備」しておりますが、暖かい服装でご来山ください。
本日は、新年最初の月例坐禅会でした。
ちょうど「小正月(こしょうがつ)」ということもあり、村では「どんど焼き」も行われました。
【小正月とは】
・かつて日本では、月の満ち欠けを1ヶ月の基準とした「太陰暦(たいいんれき)」を使用しておりました。
・そのため、人々は満月となる旧暦の1月15日に当たる日を‟1年の始まり”である正月として祝っていました。
・これは昔の日本人が、満月をめでたいものだと考えていたことに由来するそうです。
・小正月に対し、1月1日~7日までの期間を「大正月」と呼びます。年始にお雑煮やおせち料理を食べるのと同じく、小正月には小豆粥やお団子を食べて一年間の無病息災を祈念する風習もあります。
お団子ではありませんが、京都の八つ橋を坐禅後の行茶でいただきました
お経の中でも、この一年の健康と地域の安寧を祈り、参禅者の皆さまにご焼香を賜りました。
しばらく、寒い日が続きますが健康第一にご無理なくご参加いただければと思います。
改めまして、本年もどうぞよろしくお願いいたします
【次回の「月例坐禅会」は、2月1日(火)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】
※坐禅会場は、暖房完備しておりますが、暖かい服装でご来山ください。
第113回坐禅会(参加者:9名)
今朝は、未明より大嵐でした
昨年、本堂の改修をし(「向拝(こうはい・ごはい)」という屋根を前に張り出す施工をしたため)多少の雨なら凌げるものの、今日は強風により雨が縁側まで吹き込んでしまいました
そのため、参加者の皆さまにはいつもと違う入口から入堂していただきました。
本堂内に入ると雨音も落ち着き、さすがベテラン勢の皆さまはいつもと変わらぬ様子で静かに端坐されておりました。
外は、嵐。内は、坐禅。
じっと坐っていると、こんな禅語を思い出しました。
#淵黙如雷
『えんもく らいのごとし』
※深い淵のように沈黙を守り、黙って静かに坐っているだけで、百雷のような力や響きがある。の意。
▼ https://www.facebook.com/photo.php?fbid=424253387718141&set=a.424243437719136&type=3
本当に大切なことは、人から教わるものではなく、自分自身で体得するしかありません。
とかく言葉に頼りすぎてしまう昨今ですが、ただじっと坐り続ける姿から百の理屈に勝る教えや気迫が伝わることもあります。
永平寺の修行時代、そういう老僧の坐相を何度も目の当たりにしました
似たような言葉に、#沈思黙考 という四字熟語があります。
※黙ってじっくりと深く物事を考え込むこと。という意味です。
自分の内面と向き合い、ゆっくり考える時間というのは、一人でしかできないことです。
外は嵐で、屋内は静かな坐禅と申しましたが、、中には心の中が嵐のような天気の方もいたかもしれません。
同じ時間、同じ場所を共有しながら、言葉少なく沈黙のままに行じていく姿は、他者を慮る尊い行だと改めて感じました。
一方、本日12月1日は「流行語大賞」の発表があるそうです^^;
ずいぶん対照的な話題ですが、サウナ好きな私にとって「ととのう」という言葉がノミネートされたことは嬉しく思います。
※サウナと水風呂、外気浴を交互に行うことで得られる心身が整った状態を指す言葉。
「#ミステリと言う勿れ」という漫画の主人公も整くんなので、#ととのう は確かに流行語かもしれません。
ただ、最近はメディア媒体が多種多様なので、新聞・TV・ネットなど…人によってメインの情報源がさまざまなのも事実です。
共通の流行語という文化に限界がきている感もありますが、それを凌駕するほど老若男女問わず頻繁に使う言葉が生まれたら、それが“真の流行語”なのかもしれません。
坐禅にも「調身・調息・調心(ちょうしん・ちょうそく・ちょうしん)」という大切な教えがあります。
※身(姿勢)が整うと、息(呼吸)が整って、そして自然と心が整うという意味です。
折しも、本日1日から8日まで、曹洞宗の多くの寺院では「臘八摂心(ろうはつせっしん)」という行持が行われます。
「臘」というのは、12月を意味する「臘月」の略で「八」は「8日」のことです。また、「摂心」というのは「心をおさめる」という意味で、今日宗門では「一日中坐禅をする行」のことを指します。
臘八摂心は、12月8日にお悟りを開いたお釈迦さまの坐禅を追慕する期間として行われます。
▼‟SESSHIN (接心)” is sometimes described as 攝(摂)心, and it means concentration of a confused heart.
※接心(せっしん)とは、攝(摂)心とも書き、散乱する心を一つに摂(せし)むること。
仏教の教えや禅の言葉が一過性の流行にならないよう、これからも黙々として行じて参りたいと思います
★本来ならば、12月15日(水)が年内最後の坐禅会の予定でしたが、急きょ福井県の大本山永平寺より配役のお声掛けを頂きましたので「お休み」とさせていただきます。
【次回の「月例坐禅会」は、来年1月15日(土)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】
第112回坐禅会(参加者:13名)
本日は、初めて参加される方が3名もおられました
お一人は、1日に掛川の真宗大谷派・蓮福寺さまにて行われた「ほっこり法話カフェ」に参加者された方で、
あとのお二人は、先月修学旅行の代りに坐禅を行った中学生の学生さん達でした。
未だ影響あるコロナ禍において、人間関係が希薄になりがちな昨今…
こうして新たなご縁がつながることは、とても嬉しいことです(*^-^*)
ご縁と言えば、、
昨日は葵区坂本の曹洞宗寺院にて「晋山結制(しんさんけっせい)」という特別法要に出向して参りました。
今回は、知庫寮(ちこりょう)という配役で、主に受付や引き出物の管理を仰せつかりました。
▼晋山結制とは、「晋山」と「結制」の大きく二つの儀礼から成り立ちます。
お寺の住職になるためには、まず宗教法人の代表変更の届け出や曹洞宗宗務庁(東京都港区芝)からの辞令など、事務的な手続きをしなければなりません。
その後、晋山式を行うことで名実ともにお寺の住職となります。
▼晋山式は、「山に晋(すす)む」と書きます。お寺には山号(さんごう)といって、寺名の上につく名前があります。(※宗派により相違あり)
晋山式には、住職になる者がそのお寺に正式に入るという意味があり、正式に住職に就任する「住職就任式」とも言える儀式です。
▼結制とは、仏の教えに従って大勢の僧侶が集まり、仏道修行に精進することです。
その起源は、今からおよそ2500年前。お釈迦さまが定められた修行の法に依るものです。
仏教が開かれたインドは、大変暑い国で夏になると連日雨が降り続く雨季がありました。
修行僧たちは、この期間一か所に集まって修行をしていました。お釈迦さまは、集まった大勢の修行僧が決まりを守ることで皆が安らかに生活できるように法を定められました。
この時期に、「一同が必ず守らなければならない制度(決まり)を結び立てる」という意味で、これを「結制」と名づけました。
この一連の法要は、ただその寺の住職になったというだけではなく、弟子や檀信徒各位、地域の人々を導く資格を得た和尚であるかどうかということを証明する儀式でもあります。
浅学非才の身ながら、私も来年晋山式を修行させていただく運びとなりました。
(※関係各位には、改めて書簡にてご案内をさせて頂きます。)
大きな法要の際には、諸山のご寺院さまはじめ役員・檀信徒の皆さま方のご協力を仰ぎ営むことになります。
『ひとつのお寺は、目の前にいる方。そして、先人方のご尽力のおかげで成り立っている』という当たり前のようで当たり前ではない事実。
そうした陰に陽に支えられている有り難さと、今般の坐禅会のようなご縁を大切にこれからも弁道精進して参りたく存じます。
【次回の「月例坐禅会」は、12月1日(水)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】
第111回坐禅会(参加者:11名)
本日は、11月1日「第111回目の坐禅会」に11名の参加者と、‟1”が8つも並びました!(*゚∀゚*)
名前に‟一”が入る当寺としましても、不思議な数字の因縁に…朝から何かが起きそうな予感がしました。
それもそのはず、今日は掛川にある真宗大谷派のお寺「蓮福寺」さまにて法話をさせていただく機会を頂いておりました
朝のおつとめが終わって1時間後、車で1時間の距離に位置する(JR掛川駅の北側)蓮福寺さまに向かいました。
ご住職の馨さんとは、以前「グリーフケア連続講座」という勉強会でご一緒したときからのご縁です。
今回は、毎月第1または第2月曜に定例開催されている「ほっこり法話カフェ(第102回)」の話し手としてお声掛けいただきました。
本来ならば、昨年6月の開催予定でしたが…コロナの影響で今秋に延期の運びとなりました。
会場には、約30名程の参加者の方がおられ、ゆったりとした時間の中お話をさせていただきました
まずは自己紹介も兼ね、修行時代の話から福井県から静岡まで徒歩で帰郷した際のエピソード。。
そして、不安が多い世の中で「自分のこころと向き合うこと」や「他者を慮ること」の大切さを共に再確認しました。
後半は、参加者の方に「素朴な疑問」や「本日の感想」などを自由にご記入いただき、アンケート(投票形式)にてざっくばらんな語らいの時間を設けました。
昨日の「衆議院選挙」とは違う『想いの投票箱』でしたが、、皆さまのお心に触れることができ、私の方がまた多くの学びを得ることができました。
選挙になぞらえるわけではありませんが、いま私たちの身の回りには多くの情報や物質があり、それらを「選ぶ」という作業を日々行っています。
選択肢が増えることは、一見素晴らしいことに見えますが、、それだけ時間を浪費したり、迷いが生じる原因にもなります。
昔やった「お絵かきの時間」を思い出してみてください。
12色の絵の具で好きなものを描いていいと言われた時、無い色があれば色を混ぜて新しい色を作りませんでしたか
例えば、青と黄色を混ぜて緑色を作ったり。。
「高級色鉛筆」などは100色以上の種類があり、緑だけでも数十色あります。
これらの色を選ぶ時間も楽しいですが、選んでいる内に「お絵かきの時間」が過ぎていき、本当に描きたかったものが描けなくなるなんてこともしばしば。。
人それぞれに楽しむ工程や好みが違いますので、一概には申せませんが・・・
少なくとも僕自身は、いま目の前にある色から「新しい色」を生み出すことを楽しみながら、自由闊達な絵を描いていきたいと思います。
今生の「人生」という名の画用紙に
(決まった)
【次回の「月例坐禅会」は、11月15日(月)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】
第110回坐禅会(参加者:11名)
15日早朝は、月例の坐禅会がありました。
去る10月5日は「ダルマさんが亡くなった日」坐禅を重んじる禅宗では、「達磨忌」としてご供養しております。
あれ?そもそも‟ダルマさん”て実在した人物なの?と思われる方もおられるかもしれません。
「♪だるまさんがころんだ」でお馴染みのダルマさんは、達磨大師という実在のお坊さんです。
※この「大師」というのは、弘法大師(真言宗開祖の空海)のように称号なので、正確なお名前は「菩提達磨(ぼだいだるま)」と呼ぶのが正しく、これを略して達磨とも呼ばれます。もっと正確な発音は、「ボーディ・ダルマ」と言い、これはダルマさんが生まれた古代インドで使用されていたサンスクリット語による言い方です。そう、ダルマさんはインド人だったのです。
※更に「ダルマ」という単語は、サンスクリット語で「法」を表す言葉であり、よくダルマさんの絵といえば、眼光鋭く髭を生やした姿で描かれているものが多いですよね。
ダルマさんは、紀元前4世紀の終わり頃。南天竺(なんてんじく:南インド)にあるコウシ国の第3王子として生まれました。
小さいながらも平和で豊かな国にある日、お釈迦さまから法を受け継いだ27代目の弟子である般若多羅(はんにゃたら)という偉いお坊さんが訪れました。
このことを知った、コウシ国の王は般若多羅を宮殿に招きました。般若多羅が尊い仏教の教えを説いたので、王さまはお礼に宝玉を贈りました。
そして宮殿にいた3人の王子たちにも挨拶させると、般若多羅はこう言いました。
「この宝玉は国王さまからの贈り物で、たいそう優れた宝物です。さて王子さまがたは、この世にはこの宝玉よりもっと優れた宝物があると思いますか?」と3人の王子たちに尋ねました。
第1の王子は、「この宝玉より素晴らしいものなどありません。王家だからこそ贈呈できる最高の品です!」と答えました。
第2の王子は、「兄の言う通り、あなたような徳の高い方でなければ受けることのできない宝物です!」と答えました。
上の2人はこの世にこれ以上の宝はない、という答えだったのですが、第3王子のダルマは違いました。
「最上の宝物はお釈迦さまの説かれた真理です。あらゆる光の中では、智慧の光が一番輝いて最上です。」と答えました。
この優れた答えを聞いた般若多羅はダルマに出家することを勧め、国王もこれを承諾しました。
やがて国王が病気に倒れ、亡くなってしまいました。ダルマは父が亡くなった後どこにいくか見定めようと思い7日間の間瞑想し坐禅を組みました。
7日後に瞑想から目覚め父が天上界に召されたことを理解したダルマは、これをきっかけに出家し般若多羅に弟子入りしたのでした。
この時に「菩提達磨」という法号を授けられ般若多羅のもとで40年以上にわたる厳しい修行の末、ついに仏法の正しい教えをすべて伝えられ一人前と認められました。
般若多羅から「今まで学んだことを多くの人々に伝えなさい」と言われ、さらに「わたしが死んでから67年後に中国にて厄難が起きるので、中国に渡りその厄難を鎮めなさい」と告げられます。
般若多羅が亡くなった後に、菩提達磨は国内の教化(布教)に勤め、67年後に正しい仏法を伝えるため中国へむかいました。
6世紀初め、1人で商船に乗り込み海から中国へ渡りました。インドの高僧が、中国に来たことはすぐに皇帝にまで伝わり、仏教を信仰していた梁の武帝という王が宮殿に招き入れました。
梁の武帝は、「私は即位してから、寺を建てたり写経をしたり、僧侶を援助してきた。これは、どれほどの功徳になるであろう」と菩提達磨に尋ねました。
すると菩提達磨は「無功徳、何の功徳もない」と答えました。
「功徳がないというのは、一体どういうことだ!」と尋ねると、「そんなことは小さな満足にしか過ぎない。ただの迷いで、功徳などは実際には何もない影のようなものです」と答えました。
「それでは真実の功徳とは何か」と尋ねると「清らかな知恵が現れ何者にもとらわれないこと。王さまの位にあって功徳を望むのは無理というものでしょう」と答えました。
「では、私の前にいるお前は一体何者か」と尋ねると「不識。(知りません)」と答え、皇帝を怒らせました。
これは、王さまに執着心を捨てるよううながしたダルマの助言でもあったんですね。
その後、菩提達磨は各地を回り法を説きましたが、皇帝を怒らせたお坊さんだという噂がたち、まともに話を聞こうという者はいませんでした。「この国では機が熟していない」と感じた菩提達磨は少林寺に身を寄せ、壁に向かって静かに坐禅を続けました。
しばらくすると洛陽の都で仏教を学んでいる神光と名乗る僧が菩提達磨の弟子になりたいとやってきました。雪がしんしんと降る中で、菩提達磨に挨拶をしても壁に向かったまま振り向きもせず、一言も言葉を発しませんでした。
試されているに違いないと思った神光は、外で一晩立ち尽くして待っていると、明け方に菩提達磨が口を開き「一体何のためにそのように雪の中に立っているのか」と尋ねました。
神光は「御仏の正しい教えを求めて立っています」と答えると、「御仏の教えを軽々しく求めるものではない。命を投げうってはじめて求められるものだ」と答えました。神光はその言葉に感激し、左腕を切り落としました。それを見た菩提達磨は神光を中国ではじめて弟子と認め、慧可という名前を与えました。
その後。菩提達磨を慕って教えをこう人々がやってくるようになり、弟子も少しずつ増えていき、壁に向かって坐禅し続けること9年の年月が流れ…お悟りを開いたとされています。その後、尊い教えを伝え続けた菩提達磨は、528年10月5日に150歳の生涯を閉じました。
この「面壁九年(めんぺきくねん)」の故事にちなみ、玩具としての「だるま人形」ができたわけです。
達磨大師により中国に禅宗が伝えられ、中国禅宗の六祖・慧能(えのう)にまで伝わったとされています。さらに臨済宗・曹洞宗などの禅宗五家に分かれ、日本の伝統宗教にも大きな影響を及ぼしました。
郷土玩具のダルマさんは、達磨大師が坐禅をしている姿をまねた張り子の人形で、赤い衣姿で手足がなく底を重くして倒れてもすぐ起き上がるのが特徴です。
起き上がり玩具としては、室町時代に「起き上がり小法師(おきあがりこぼし)」と称するものが流行したが、江戸時代から「だるま」が起き上がり玩具を代表するようになったとされています。
倒れてもすぐ起き上がるところから、「七転八起(ななころびやおき)」の例えとともに「縁起物」として全国に広まり、現在も親しまれています。
人生には、浮き沈みの波がありますが・・・たとえ何度失敗してもめげず、そのたびに立ち上がるダルマさんの精神を見習い、この苦境を乗り越えていきたいものですね。
【次回の「月例坐禅会」は、11月1日(月)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】
第109回坐禅会(参加者:8名)
台風の接近が心配される中、今朝も本堂にて坐禅を組みました。
先日。
参加者の皆さんに、「延命十句観音経」という短いお経が書かれた写経用紙をお配りいたしました。
これは、岐阜県の曹洞宗青年会から発信された企画で、コロナ終息を願って写経の輪をつなぐプロジェクトの一環でした。
実はその責任者が、私の永平寺修行時代の同輩でもありましたので、何とか多くの枚数を配布し微力ながら祈願の一助になればと思っておりました。
はじめは十数枚の集計でしたが・・・お子さまやお孫さま、介護施設・近隣縁者さまへとご縁がつながり、おかげさまで100枚を超えるご参画(納経)を賜りました。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。
よく「写経に興味はあるけど、ちょっと字が下手で…」とか「筆を使うのは苦手だから」とためらう方がおられます。
写経は、心をこめて丁寧に書写することが肝心でして、文字の上手い下手はあまり問題ではありません。
そもそも写経とは、お釈迦さまが説かれた御教えを書写する仏道修行であり、人々に仏道をひろめお経を書き写す行を通じて大願成就を祈ることから始まっています。
それでは、まず仏教そして写経の歴史について少しご説明します。
お釈迦さまは、今から2500年以上昔インドに実在したお坊さまで、元々はカピラ国(現在のインドとネパールの国境地帯にあたる小国)の王子さまでした。
名をゴータマ・シッダルタ王子と称し、人間が生きている限りどうしても向き合わなければならない4つの苦しみ➔生まれ・病気・老い・死ぬ「生老病死」に代表される様々な苦しみをどうとらえ、乗り越えていくか…ということに悩み、長い修行の末、静かに瞑想し悟りを開かれました。
そして、この世の真理というべく「大切な教え」を多くの弟子たちに伝え後世に残してくれました。
▼例えば・・・「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」ということ。苦しみの原因は、理想と現実とのギャップからくるモノがほとんどです。
目の前の現実を正しく理解するためには、「諸行無常(すべてはうつり変わるもの)」、「(すべては繋がりの中で変化している)諸法無我」という状態を理解する必要があります。
その上で、一つの感情や物質に執着しない「涅槃寂静」という悟りの境地を目指すのが、仏教徒の生き方ということになります。
こうしたお釈迦さまの教えのことを文字通り仏教と呼び、文字に起こしたのが、いわゆる「お経」ということになります。
お釈迦さまがお亡くなりになられた後、約500人の僧侶が集まり、結集(けつじゅう)と呼ばれる経典の編集会議が行われました。
この時、十大弟子の一人であるマハーカッサパ老師を議長とし、生前お釈迦さまの身の回りのお世話をしていたアーナンダが(一番お釈迦さんの話を多く聞いていたということで)経典の編集主任を担当しました。
しかしながら古代インドでは、まだ文字は日常的に使用されていませんでした。
そのため経典会議では、まず議長のマハーカッサパがアーナンダに質問をします。
その問いに対し、アーナンダが「わたしはこのように聞いた」と答えます。
そうやって、お釈迦さまの説法内容や、その場の状況経緯などを細かに答えていきました。このことを表すのが、「是かくの如ごとく我われは聞きけり」と読み下す「如是我聞(にょぜがもん)」という言葉で、お経の冒頭にも出てきます。
集まった僧侶はそれが本当に正しいかどうか、お互いの記憶を確認しながら検討しました。合議の上それが認められると、全員で声をそろえて唱え暗記しました。
こうして、だんだんとお釈迦さまにまつわるエピソードが紡ぎだされ「お経」としてまとめられました。
紀元前1世紀頃までは、お釈迦さまの教えは口伝によって伝えられていましたが、より正確に伝えるために「貝多羅葉(ばいたらよう)」という木の葉に書写されるようになり、文字で書かれた「経典」はその後各地に伝わります。
インドのことを別名「天竺」と呼びますが、天竺と言えば『西遊記』
物語では、孫悟空や妖怪たちの活躍ばかりに目がいってしまいますが、忘れてはいけないのが旅の目的です。実在した中国の僧侶「玄奘三蔵法師」は、天竺に正しい仏の教えが記された経典をとりに長旅をします。
三蔵法師はじめ、多くの方々の苦労によって現在私達が目にする経典が誕生しました。2世紀頃からは古代インド語から漢文への翻訳も始まり、木版印刷が盛んになる10世紀中頃までの間、中国では多くの経典が漢訳され写経されました。これが、「写経」の始まりです。
そして、仏教はインドから中国に伝わり日本へと広がっていきました。
日本での写経の歴史は、日本書紀に「書生(写経生)を集めて、始めて一切経を川原寺(かわらでら)に写す」とあります。
その後、聖武天皇のころ写経司(しゃきょうし)を任命し、これら専門職の者が書き写して蔵に収め、諸国の国分寺等に配布されました。
そののち、平安時代頃から「修行のため」、あるいは「病気平癒、先祖供養」など祈りや願いを目的にした現在のような個人的写経が始められたようです。
このように写経には長い歴史があり、多くの人に心の安らぎを与える糧となってきました。写経をする際には、部屋を掃除し姿勢を整えて静かに筆をとり、目の前の一字一字を丁寧に書いていきます。
身心を調えて行う写経の心が、そのまま仏さまの心に通じております。そしてこの写経の精神は、時代を越え道を求むる人にとって大きな心の支えとなりました。
いま見えない不安が多い世の中ですが、この「写経」によって静かに落ち着いた時間を大切にするとともに、祈りや願いを生活の中に活かしていただければありがたく存じます。
「写経教室」をやっているお寺も各地にありますので、インターネットやお近くの寺院にてお問い合わせ頂ければ幸いです。
また、この度おうちでも写経の練習ができるように、静岡市葵区古庄の印刷屋業者「創文社」さんでは綺麗な花をあしらった写経用紙を新たに発売されました。
ご興味のある方は、写経の創文社(054)265-0870まで、お気軽にお問い合わせください。
ちなみに、写経用紙には各種「お経」や仏さまのお顔を写す「写仏」というものもあります。もっとも親しまれているのは、先ほどの三蔵法師に所縁のある「般若心経」というお経です。
創文社さんでお求めいただける写経練習帳には、般若心経の解説が書かれておりますが、その編集に少し私も携わらせていただきましたので…今回は、そういうご縁もありご紹介させていただきました<(_ _*)>
般若心経は比較的短い経典でありますが、仏法の大切な教えが述べられていて書きやすいお経ですので、初心の方にはこの写経をおすすめいたします
静かな秋のおうち時間、ぜひ写経を始めてみませんか
【次回の「月例坐禅会」は、10月15日(金)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】
第108回坐禅会(参加者:10名)
9月も中旬になり、だんだん秋の風が吹いてきましたカラダ的には、だいぶ過ごしやすくなってきたのではないかと思います。
皆さんは、秋といえば何を連想しますか。僕はやはり『天高く馬肥える秋』という言葉の通り、「イワシ雲」や「夜空の月」といった空を思い浮かべます
※ちなみに『天高く馬肥える秋』ということわざは、空気が澄んでいて空も高く感じられ、馬も過ごしやすくよく肥える収穫の季節。という意味があります
余談ですが・・・以前。この時期に、山門のお地蔵さんの前に白い猫が2匹並んで日向ぼっこしていました。よくみると2匹とも丸々と太ったネコちゃんで、真っすぐこちらを見ているので…思わず写真をとりました
『天高く猫肥ゆる秋』というタイトルで一乗寺の公式ページに投稿してありますので、興味のある方はぜひ探してみてください(。-∀-)
さて、そんな魅力あふれる秋ですが俳句や短歌の季語には、「竹の春」という言葉を用いることがあります。
なぜ、この時期に春という言葉を使うのかというと・・・毎年3~4月頃に繁殖期を迎える竹は、タケノコに栄養分を与えるため青々しさがなくなり、(地下茎でつながっているため)春先には竹の葉が一斉に黄色くなります。
その後、初夏を迎えると竹の子がぐんぐん成長し若竹になり、秋には青々とした親竹になって、滅多に咲かない「竹の花」を咲かすこともあるそうです。
春に色づき秋に花が咲くので、この季節のことを「竹の春」と呼ぶようになったというわけです。なぜか僕は、この季語がとても好きです。
人間の感覚ですと、「もう9月かぁ」とか「秋はあっという間だなぁ」なんてついつい口に出てしまいますが、もともと自然の営みは暦に関係なく存在していたわけで、あとから来た人間がそこに名前をつけただけ。。
なので、竹にとっては「今が春なんだ」という、この感覚がすごく新鮮で自由な発想をもたらしてくれると思うのです。
これを更に飛躍して考えると、人間はいろいろなものに縛られて生きていますが・・・もしかしたら、もっと自由闊達に生きることが出来るのではないかと
よく1月には「新年の抱負」なんてものを掲げますが、なんだかんだ言っている内に、季節は秋
今年も「時間がないなぁ」とボヤキがちのところ…もう一度、目標を掲げたときのことを思い出して、「これならできそう!」「年内にこれだけは、実現する!」という気持ちで、できることから一歩進んでみませんか。
例えば、興味はあるけどなかなか入門できない習いごとや、お部屋の掃除、不要なものは思い切って手放す。といった身近なことからで構いません。
逆に、普段休みがとれない方・過活動の方は、「思い切って何もしない!」をする。それもできない、人間関係に疲弊している人は、日々の記録をつける・・・等々。
能力を磨くことは「スキルアップ」。自分に養分を与えたり、心身を癒したりすることを「セルフケア」と呼びます。日本人は、とかく休みの日でも「休まなきゃ休まなきゃ」という意識が働くこともあろうかと思います。こうした一種の先入観や強迫観念も心のストレスになりますので、あくまでも自然体でゆっくり考えてみましょう。
青々とした竹の林に一陣の風が吹くように、あなたの心にも爽やかな光が降り注ぎますように
秋は、一番過ごしやすい季節であり、何を始めるにも良い季節であります。どうぞ、勇気を出して何事にも挑戦していきましょう
#天高く猫肥ゆる秋
#セルフケア
#スキルアップ
#竹の春
#たけのこの里派
【次回の「月例坐禅会」は、10月1日(金)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】